最上川象潟以後
(はがき)今日越後の新津を立ち、阿賀野川の渓谷を上りて会津を経、猪苗代湖畔の霜枯れを圧する磐梯山のすさまじき雪の姿を仰ぎつつ郡山へ。
それより奥羽線に乗り替え上野に向かう。
先刻西那須野を過ぎて昨年の塩原行きを想い出すままにこのはがきをしたため候。
まことに、旅は大正昭和の今日、汽車自動車の便あればあるままに憂くつらくさびしく、五十一歳の懐子には、まことによい浮世の手習いかと思えばまたおかしくもある。
さるにても、山川の美しさは、春や秋のは言わばデパートメントの売り出しの陳列棚にもたとえつべく、今や晩冬の雪ようやく解けて、黄紫赤褐にいぶしをかけし天然の肌の美しさは、かえって王宮のゴブランにまさる。
枯れ芝の中に花さく蕗の薹を見いでて、何となしに物の哀れを感じ侍る。
自動車のほこり浴びても蕗の薹
(昭和三年四月、渋柿)
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公園劇場で「サーカス」という芝居を見た。
曲馬の小屋の木戸口の光景を見せる場面がある。
木戸口の横に、電気人形に扮した役者が立っていて、人形の身振りをするのが真に迫るので、観客の喝采を博していた。
くるりと回れ右をして、シルクハットを脱いで、またかぶって、左を向いて、眼玉を左右に動かしておいて、さて口をぱくぱくと動かし、それからまたくるりと右へ回って同じ挙動を繰り返すのである。
生きた人間の運動と器械人形の運動との相違を、かなり本質的につかんでいるのは、さすがに役者である。
たとえば手の運動につれて、帽子がある位置に来て、その重心が支点の直上に来るころ、不安定平衡の位置を通るときに、ぐらぐらと動揺したりする、そういう細かいところの急所をちゃんと心得ている。
もちろんこの役者は物理学者ではないし、自働人形の器械構造も知らないであろうが、しかし彼の観察の眼は科学者の眼でなければならない。
人形の運動はすべて分析的である。総合的ではない。
たいていの人間は一種のアウトマーテンである。
あらゆる尊敬すべききまじめなひからびた職業者はそうである。
そうでないものは、英雄と超人と、そうして浮気な道楽者の太平の逸民とである。
俳諧の道は、われわれをアウトマーテンの境界から救い出す一つの、少なくも一つの道でなければならない。
(昭和三年五月、渋柿)
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梨の葉に黄色い斑ができて、毛のようなものが簇生する。
自分は子供の時から、あれを見るとぞっと寒気がして、そして自分の頬からこめかみへかけて、同じような毛が生えているような気がして、思わず頬をこすらないではいられない。
このごろ庭の楓樹の幹に妙な寄生物がたくさん発生した。
動物だか植物だかわからない。
蕈のような笠の下に、まっ白い絹糸のようなものの幕をたれて、小さなテントの恰好をしている。
打っちゃっておけば、樹幹はだんだんにこのために腐蝕されそうである。
これを発見した日の晩に、ふと思い出すと同時に、これと同じものが、自分の腕のそこやかしこにできていそうな気がして、そしてそれが実際できているありさまをかなりリアルに想像して、寝つかれなくて困った。
人の悪事を聞いたり読んだりして、それが自分のした事であるような幻覚を起こして、恐ろしくなるのと似た作用であるかもしれない。
そして、これは、われわれにとって、きわめてだいじな必要な感応作用であるかもしれない。
(昭和三年七月、渋柿)
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始めて両国の川開きというものを見た。
河岸に急造した桟敷の一隅に席を求め、まずい弁当を食い、気の抜けたサイダーを呑み、そうしてガソリン臭い川風に吹かれながら、日の暮れるのを待った。
全く何もしないで、何も考えないで、一時間余りもポカンとして、花火のはじまるのを待っているあほうの自分を見いだすことができたのは愉快であった。
附近ではビールと枝豆がしきりに繁昌していた。
日が暮れて、花火がはじまった。
打ち上げ花火はたしかに芸術である。
しかし、仕掛け花火というものは、なんというつまらないものであろう。
特に往生ぎわの悪さ、みにくさはどうであろう。
「ざまあみろ。」
江戸ッ子でない自分でもこう言いたくなる。
一つ驚いた事を発見した。
それはマクネイル・ホイッスラーという西洋人が、廣重よりも、いかなる日本人よりも、よりよく隅田川の夏の夜の夢を知っていたということである。
(昭和三年九月、渋柿)
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芸術は模倣であるというプラトーンの説がすたれてから、芸術の定義が戸惑いをした。
ある学者の説によると、芸術的制作は作者の熱望するものを表現するだけでなく、それを実行することだそうである。
この説によって、試みに俳句を取り扱ってみると、どういうことになるであろうか。
恋の句を作るのは恋をすることであり、野糞の句を作るのは野糞をたれる事である。
叙景の句はどういう事になるか。
それは十七字の中に自分の欲する景色を再現するだけではいけなくて、その景色の中へ自分が飛び込んで、その中でダンスを踊らなくては、この定義に添わないことになる。
これも一説である。
少なくも古来の名句と、浅薄な写生句などとの間に存する一の重要な差別の一面を暗示するもののようである。
客観のコーヒー主観の新酒哉
(昭和三年十一月、渋柿)
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甲が空間に一線を劃する。
乙がそれに続けて少し短い一線を画く。
二つの線は互いにある角度を保っているので、これで一つの面が定まる。
次に、丙がまた乙の線の末端から、一本の長い線を引く。
これは、乙の線とある角度をしているので、乙丙の二線がまた一つの面を定める。
しかし、この乙丙の面は、甲乙の面とは同平面ではなくて、ある角度をしている、すなわち面が旋転したのである。
次に、丁がまた丙の線の続きを引く。
アンド・ソー・オン。
長、短、長短、合計三十六本の線が春夏秋冬神祇釈教恋無常を座標とする多次元空間に、一つの曲折線を描き出す。
これが連句の幾何学的表示である。
あらゆる連句の規約や、去嫌は、結局この曲線の形を美しくするために必要なる幾何学的条件であると思われる。
(昭和四年一月、渋柿)
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石器時代の末期に、銅の使用が始まったころには、この新しい金属材料で、いろいろの石器の形を、そっくりそのままに模造していたらしい。
新しい素材に、より多く適切な形式を発見するということは、存外容易なことではないのである。
また、これとは反対に、古い形式に新しい素材を取り入れて、その形式の長所を、より多く発揮させることもなかなかむずかしいものである。
詩の内容素材と形式との関係についても、同様なことが言われる。
(昭和四年三月、渋柿)
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二年ばかり西洋にいて、帰りにアメリカを通って、大きな建築などに見馴れて、日本へ帰った時に、まず横浜の停車場の小さいのに驚き、汽車の小さいのに驚き、銀座通りの家屋の低く粗末なのに驚いた。
こんなはずではなかったという気がした。
これはだれもよくいう事である。
ヴァイオリンをやっていたのが、セロを初めるようになって、ふた月三月ヴァイオリンには触れないで、毎日セロばかりやっている。
そして、久しぶりでヴァイオリンを持ってみると、第一その目方の軽いのに驚く。
まるで団扇でも持つようにしか感ぜられない。
楽器が二、三割も小さく縮まったように思われ、かん所を押える左手の指と指との間が、まるでくっついてしまうような気がする。
そういう異様な感じは、いつとなく消えてしまって、ヴァイオリンはヴァイオリン、セロはセロとおのおのの正当な大きさの概念が確実に認識されて来るのである。
俳句をやる人は、時には短歌や長詩も試み、歌人詩人は俳句もやってみる必要がありはしないか。
(昭和四年五月、渋柿)
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一日忙しく東京じゅうを駆け回って夜ふけて帰って来る。
寝静まった細長い小路を通って、右へ曲がって、わが家の板塀にたどりつき、闇夜の空に朧な多角形を劃するわが家の屋根を見上げる時に、ふと妙な事を考えることがある。
この広い日本の、この広い東京の、この片すみの、きまった位置に、自分の家という、ちゃんときまった住み家があり、そこには、自分と特別な関係にある人々が住んでいて、そこへ、今自分は、さも当然のことらしく帰って来るのである。
しかし、これはなんという偶然なことであろう。
この家、この家族が、はたしていつまでここに在るのだろう。
ある日、一日留守にして、夜おそく帰って見ると、もうそこには自分の家と家族はなくなっていて、全く見知らぬ家に、見知らぬ人が、何十年も前からいるような様子で住んでいる、というような現象は起こり得ないものだろうか、起こってもちっとも不思議はないような気がする。
そんな事を考えながら、門をくぐって内へはいると、もうわが家の存在の必然性に関する疑いは消滅するのである。
(昭和四年七月、渋柿)
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あたりが静かになると妙な音が聞こえる。
非常に調子の高い、ニイニイ蝉の声のような連続的な音が一つ、それから、油蝉の声のような断続する音と、もう一つ、チッチッと一秒に二回ぐらいずつ繰り返される鋭い音と、この三つの音が重なり合って絶え間なく聞こえる。
頸を左右にねじ向けても同じように聞こえ、耳をふさいでも同じように聞こえる。
これは「耳の中の声」である。
平生は、この声に対して無感覚になっているが、どうかして、これが聞こえだすと、聞くまいと思うほど、かえって高く聞こえて来る。
この声は、何を私に物語っているのか、考えてもそれは永久にわかりそうもない。
しかし、この声は私を不幸にする。
もし、幾日も続けてこの声を聞いていたら、私はおしまいには気が狂ってしまって、自分で自分の両耳をえぐり取ってしまいたくなるかもしれない。
しあわせなことには、わずらわしい生活の日課が、この悲運から私を救い出してくれる。
同じようなことが私の「心の中の声」についても言われるようである。
(昭和四年九月、渋柿)
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大震災の二日目に、火災がこの界隈までも及んで来る恐れがあるというので、ともかくも立ち退きの準備をしようとした。
その時に、二匹の飼い猫を、だれがいかにして連れて行くかが問題となった。
このごろ、ウェルズの「空中戦争」を読んだら、陸地と縁の切れたナイアガラのゴートアイランドに、ただ一人生き残った男が、敵軍の飛行機の破損したのを繕って、それで島を遁げ出す、その時に、島に迷って饑えていた一匹の猫を哀れがっていっしょに連れて行く記事がある。
その後に、また同じ著者の「放たれた世界」を読んでいると、「原子爆弾」と称する恐るべき利器によって、オランダの海をささえる堤防が破壊され、国じゅう一面が海になる、その時、幸運にも一艘の船に乗り込んで命を助かる男がいて、それがやはり居合わせた一匹の迷い猫を連れて行く、という一くだりが、ほんの些細な挿話として点ぜられている。
この二つの挿話から、私は猫というものに対するこの著者の感情のすべてと、同時にまた、自然と人間に対するこの著者の情緒のすべてを完全に知り尽くすことができるような気がした。
(昭和四年十一月、渋柿)
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上野松坂屋七階食堂の食卓に空席を捜しあてて腰を下ろした。
向こう側に五、六歳の女の子、その右側には三十過ぎた母親、左側には六十近いおばあさんが陣取っている。
純下町式の三つのジェネレーションを代表したような連中である。
老人は「幕の内」、母子はカツレツである。
母親が給仕にソースを取ってくれと命ずると、おばあさんが意外にも敏捷に腕を延ばして、食卓のまん中にあったびんを取っておかみさんの皿の前へ立てた。
「ヤーイ、オバアちゃんのほうがよく知ってら。」
私が刹那に感じたと全く同じ事を、子供が元気よく言い放って、ちょこなんと澄ましている。
母親はかえってうれしそうに
「ほんとう、ねええ。」
そんな相槌を打って皿の中の整理に忙しい。
おばあさんの顔と母親の顔とがよく似ているところから見ると、これはおかみさんが子供をつれての買い物のついでに、里の母親を誘って食堂をふれまうという場面らしい。
「お汁粉取りましょうか、お雑煮にしましょうか。」
「もうたくさんです。」
「でも、なんか……。」
こんな対話が行なわれる。
こんな平凡な光景でも、時として私の心に張りつめた堅い厚い氷の上に、一掬の温湯を注ぐような効果があるように思われる。
それほどに一般科学者の生活というものが、人の心をひからびさせるものなのか、それともこれはただ自分だけの現象であるのか。
こんなことを考えながら、あの快く広い窓のガラス越しに、うららかな好晴の日光を浴びた上野の森をながめたのであった。
(昭和五年一月、渋柿)
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「三毛」に交際を求めて来る男猫が数匹ある中に、額に白斑のある黒猫で、からだの小さいくせに恐ろしく慓悍なのがいる。
これが、「三毛」の子で性質温良なる雄の「ボウヤ」を、女敵のようにつけねらって迫害し、すでに二度も大けがをさせた。
なんとなく斧定九郎という感じのする猫である。
夜の路次などで、この猫に出逢うと一種の凄味をさえ感じさせられる。
これと反対に、すこぶる好々爺な白猫がやって来る。
大きな顔に不均整な黄斑が少しあるのが、なんとなく滑稽味を帯びて見える。
「ボウヤ」は、この「オジサン」が来ると、喜んでいっしょについてあるくのである。
今年の立春の宵に、外から帰って来る途上、宅から二、三丁のある家の軒にうずくまっている大きな白猫がある。
よく見ると、それはまさしくわが親愛なる「オジサン」である。
こっちの顔を見ると、少し口を開いて、声を出さずに鳴いて見せた。
「ヤア、……やっこさん、ここらにいるんだね。」
こっちでも声を出さずにそう言ってやった。
そうして、ただなんとなくおかしいような、おもしろいような気持ちになって、ほど近いわが家へと急いだのであった。
淡雪や通ひ路細き猫の恋
(昭和五年三月、渋柿)
寺田寅彦 / 青空文庫 · Public Domain
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桜の静かに散る夕、うちの二人の女の子が二重唱をうたっている。
名高いイタリアの民謡である。遠い国にさすらいのイタリア人が、この歌を聞くときっと涙を流すという。
今、わが家の子供らの歌うこの民謡を聞いていると、ふた昔前のイタリアの旅を思い出し、そうしてやはり何かしら淡い客愁のようなものを誘われるのである。
ナポリの港町の夜景が心に浮かぶ。
朧夜を流すギターやサンタ・ルチア
(昭和五年五月、渋柿)
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うすら寒い日の午後の小半日を、邦楽座の二階の、人気の少ない客席に腰かけて、遠い異国のはなやかな歓楽の世界の幻を見た。
そうして、つめたいから風に吹かれて、ふるえながらわが家に帰った。
食事をして風呂にはいって、肩まで湯の中に浸って、そうして湯にしめした手ぬぐいを顔に押し当てた瞬間に、つぶった眼の前に忽然と昼間見た活動女優の大写しの顔が現われた、と思うとふっと消えた。
アメリカは人皆踊る牡丹かな
(昭和五年五月、渋柿)
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いろいろな国語の初歩の読本には、その国々特有の色と香がきわめて濃厚に出ている。
ナショナルリーダーを教わった時に、幼い頭に描かれた異国の風物は、英米のそれであった。
ブハイムを手にした時には、また別の国の自然と、人と、その歴史が、新しい視野を展開した。
ロシアの読本をのぞくと、たちまちにして自分がロシアの子供に生まれ変わり、ラテンの初歩をかじると、二千年前のローマ市民の子供になり、蝋石盤をかかえて学校へ通うようになる。
おとなの読み物では、決して、これほど農厚な国々に特有な雰囲気は感ぜられないような気がする。
飜訳というものもある程度までは可能である。
しかし、初歩の読本の与える不思議な雰囲気だけは、全然飜訳のできないものである。
(昭和五年七月、渋柿)
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純白な卓布の上に、規則正しく並べられた銀器のいろいろ、切り子ガラスの花瓶に投げ込まれた紅白のカーネーション、皿の上のトマトの紅とサラドの緑、頭上に回転する扇風機の羽ばたき、高い窓を飾る涼しげなカーテン。
そこへ、美しいウエトレスに導かれて、二人の老人がはいって来る。
それは芭蕉翁と歌麿とである。
芭蕉は定食でいいという、歌麿はア・ラ・カルテを主張する。
前者は氷水、後者はクラレットを飲む。
前者は少なく、後者は多く食う。
前者はうれしそうに、あたりをながめて多くは無言であるが、後者はよく談じ、よく論じながら、隣の卓の西洋婦人に、鋭い観察の眼を投げる。
隣室でジャズが始まると、歌麿の顔が急に活き活きして来る、葡萄酒のせいもあるであろう。
芭蕉は、相変わらずニコニコしながら、一片の角砂糖をコーヒーの中に落として、じっと見つめている。
小さな泡がまん中へかたまって四方へ開いて消える。
それが消えると同時に、芭蕉も、歌麿も消えてしまって、自分はただ一人、食堂のすみに取り残された自分を見いだす。
(昭和五年九月、渋柿)